とある映画好きの備忘録

良い映画を観終わった後、感想を書かずにはいられない

「ラ・ラ・ランド」(2016)

私が初めてこの作品を観たのは確か中3辺りだったの思う。その時は、正直あまり面白いと思わなかった。横で観ていた母だけが感動していて腑に落ちなかった分よく覚えている。しかし、高校生になって再び観た時は全く違った。こんな面白い映画があるのかという驚きと共に、子供には分からない感動がある事を初めて実感した。その後も何度も観たし、観る度に深みが増してくる。迷いなく私の最も好きな映画の一つと言える。今日は、数年ぶりに観て思った事を書いていきたい。

 

まず、この映画はあらゆる面で優れすぎていて、感想を書く側からすると何から書けば良いのかが分からなくて困る。役者の演技、感情と音楽のマッチ、音楽そのもの、たまに出て来るジョーク、ストーリー、と、ひとつずつ挙げていたらきりが無い。

しかし、今書いていてふと思ったが、ストーリー自体は実は平凡なものである。主要な流れだけをまとめると次にようになる。二人の夢を持った男女が恋に落ちるが、夢を追い続けるべきか否かで揉めてしまう。その後、二人は互いを愛し合いながらも夢のために別れる。二人は互いのおかげで夢を叶えるが、別々の人生を歩むこととなる。

ここでの平凡とは、ストーリーの奇抜さを狙うことによって他の美点を損なうようなことがないということである。要約してしまえばありきたりなこのストーリーこそが実は、セブとミアの関係の美しさ、別れの儚さを、一切邪魔することなく引き立てるのに完璧な役割を果たしている。全体的なストーリーだけでなく、ミアがセブの仕事について親と電話するのをセブが聞いているシーンの伏線等に見られるように、細部の構成も抜かりがない。良い演技と音楽で駆け抜けたというより、あらゆる無駄を排除した完璧主義的なこの映画の側面に気づく。

この平凡なストーリーのおかげでラ・ラ・ランドミュージカル映画にもかかわらず大変リアリティーがある。別にここで言うリアリティとは、実際に丘の上で急に歌ってタップダンスを始める男女が多いという話ではない。この作品には他にも、宙を歩いたりと、表面的には非現実的なシーンがあるが、これらのシーンは二人の心情を反映させた映像だと捉えればこの上なくリアルである。むしろ、好きな人と夜のプラネタリウムで踊るのに地に足がついている方が不自然である。これらの映像は音楽と共に登場人物の精神世界を映したものとなっており、彼らを外から見た様子を忠実に映像化したものよりかえって感情移入しやすい。

このような音楽、映像技術、さらには二人の出会い方などによって二人の関係はこの上なく魅力的に描かれており、前半だけで十分面白い映画なのだが、ラ・ラ・ランドが傑作たる所以はやはり、後半の二人の関係に亀裂が入り始めてからにある。もっと言えばラスト10分店でセブがミアの存在に気づいてからにある。

仮にこの映画のテーマを一つに絞れと無理強いされたら、私は「別れの切なさ」と答えるだろう。より主観的には、ラストシーンで遠くのミアと見つめ合い頷くセブの心境を想像し、その格好良さに悶絶するのがこの映画の楽しみ方だと思う。セブは、例え自分がそばにいる事がなくても、最後までミアの夢を応援し、ミアが夢を叶えられたことを純粋に祝福しているのである。セブのこの優しさに気づかないミアではないので、余計に別れが切なくなる。そして、二人は今更実現しないことは承知しつつも、別の成り行きで二人が一緒になっていた世界を想像してしまうのである。二人が互いを愛し合いながらも一緒になることはないという切なさを、最後の想像世界と二人の表情がこの上なく美しく物語っている。